京都店:東海道五十三次を自転車で走破!<一日目>
ストラーダ井上が10月7日から6日間かけて旧東海道五十三次を自転車で走破してまいりました。
いにしえの旅人達が往来した古い道に以前から魅せられいた私は、以前からあちこちの旧街道を走ってきましたが、一気に走破するのはこれが初めてです。
京都店をオープンした自分へのご褒美も兼ねて、また新しいエンデュランスレーサーの性能も試したかったので一念発起し走ってまいりました。
その旅の様子と写真をご覧ください。
<ストラーダバイシクルズ京都>今回の旅に、初日はキャノンデールジャパン株式会社の弊社担当の岡村氏が随走してくれることになりました。旅は道連れ。
今回は、キャノンデール社のニュープロダクツ「SYNAPSE Hi-Mod」を使用。驚きの衝撃吸収力とレーサー並みの俊敏さを兼ね備えた次世代のロードバイクです。岡村氏は同社で圧倒的人気のCAAD10をチョイス。
三条大橋を目指します。東海道五十三次は、京都三条から江戸までに53カ所の宿場町があり、昔の旅人は一日あたり十里前後(40km前後)を歩き、江戸を目指しました。昔の人は健脚だったのですね。驚きです。
<三条大橋>旅の起点です。京都に住む人にとってはあまりに有名な橋ですが、江戸時代の人にあってもそうであったようです。
<三条大橋>旅の記念撮影をしていると、京都在住のドイツ、アメリカの方と出会いました。バイクジャージを着ているのをみて、いきなりフレンドリーに英会話。なんでも先日ストラーダバイシクルズ京都にお越しになったそうで、思わず名刺を渡してしまいました。
往来がたくさんある三条大橋のたもとにはひっそりと看板や弥次喜多の銅像があったりします。さあ出発です!
蹴上(けあげ)というところで。琵琶湖疎水(琵琶湖から京都岡崎まで掘られた運河)のインクライン(舟を貨車で運んだ)の隧道に入る岡村氏。
山科にあるお堂で小休止
京都から近江に入る逢坂山で。むかし牛車を通すために石畳に溝が掘ってあったそうです。ローマ時代のパヴェにもそんなのがありましたね。
<逢坂山>月心寺というお寺にある走井(はしりい)という湧水が有名です。
<大津宿>札の辻とよばれる地名を右手に曲がります。安藤広重の浮世絵に出てくるポイントですが、現代では埋め立てが進み琵琶湖岸は見えなくなり、路面電車が走っています。
滋賀県には「飛び出し坊や」ですか・・・岡村氏飛び出しています。
<大津宿>赤いベンガラ塗りの格子の家を連子格子(れんじこうし)と言います。旧道の趣が色濃い滋賀県では、街道沿いにまだたくさんの連子格子の家が見られます。
石山に入って突然道が消えました。ここはJR石山駅。そうです。旧東海道はここで鉄道に分断されています。このように近代や現代に入って旧街道は新しい幹線道路や鉄道に分断されています。そして次第に旧道のルートが分からなくなってしまっている所もあるのです。寂しい事ですが、でもこれを古地図で探し出して走るのがとても楽しいのです。今回はいろいろな文献や古地図をGARMINにデータとしてプロットし、それに従って走りました。
<勢多の唐橋>歴史上、幾多の合戦の舞台となった勢多の唐橋。旧街道は唐橋も道程になっています。
旧街道は突然公園の中を走ります(笑)面白いですね!誰もここが旧街道だとは気づかないでしょう。
<草津宿>現存する最大の本陣。本陣とは大名や公家、皇族のみが宿泊することを許された旅籠(はたご)で、各宿場町には必ず設置されました。また脇本陣というものも設置され、同じく大名やその家来が宿泊するものでした。その他宿場町は、一般の庶民やお伊勢参りの巡礼者が宿泊する旅籠、素泊まりで煮炊きの光熱費だけ払う木賃宿(きちんやど)というものがありました。草津宿は東海道の中でも相当に大きな宿場町でした。中山道との分岐点であり多くの旅人が交差した宿場でした。
今回の旅は、よりそれっぽい雰囲気を楽しむために和食の食堂などを利用しました。岡村氏とうどん屋さんで昼食
<草津宿>ここが草津追分です。トンネル状のものが見えますがこちらが中山道、右に曲がると東海道です。今回は右に曲がる事に。ちなみにトンネルの上には川がつい先日まで流れていました。天井川というもので住宅より高いところを川が流れているのです。この辺りによく見られるものです。
<石部宿>消え行く街道を少しでも残そうと努力されています。
<石部宿>
<横田の常夜灯>旅の安全を祈願して設置された万人講常夜灯。講という組織が江戸時代にはあり、寄付によって建てられたそうです。
<水口宿>高札場。定書きや掟などを付近の住民に知らしめたもので、各宿場の辻に必ずありました。札の辻という地名が各地に残っています。
<水口宿>江戸見附。見附というのは宿場町の境界を表す門のような者で、夜間をここを締め切り、宿場町から出入りできないようにしました。
<土山宿>土山も街道の色が濃いところで、地元が一生懸命残そうとしています。
<土山宿>問屋宅邸。問屋とかいて「といや」と読みます。ここでは飛脚や荷物の取り次ぎや計量を行っていました。いまでいう宅急便の基地みたいなものですね。
<土山宿>補給食として最中を食べました。昔の峠の前後には必ずと言っていいほど茶屋が設置され、お餅や団子などが売られていました。また飼葉や飲み水など馬にも補給が出来るようになっていました。
蟹が坂という伝説の道を過ぎるといよいよ鈴鹿峠です。
鈴鹿峠の常夜灯。山賊の多かったこの辺りで、この常夜灯は旅人の道しるべでした。ちなみに峠にはどこに行っても野仏が多くありますが・・・そういう事なのでしょうか?追いはぎや山賊などがあったのでしょうね。
鈴鹿峠では舗装路から江戸時代の地道に変わります。シナプスではこの程度のダートは十分走れます。
土山はお茶の里。幻想的な風景が広がります。
<鈴鹿峠>頂上は鬱蒼とした木立の中を通ります。すぐ下に国道1号線の現代の鈴鹿峠が走ります。ゴーゴーとトラックの地響きが旧街道まで伝わってきます。
次第に道は荒れていき、とうとう担ぎで行く事に。
落ち葉にシナプスのグリーンが良く似合います。
などと言っている場合ではありません!地面は雨で濡れ、江戸時代から残るこの石畳は苔むしてツルツル。非常に危険です。
<坂下宿>ようやく下におりたところが坂下宿です。ほぼ寂れてしまっている集落ですが、馬子唄資料館というものがあります。馬を引く馬子が唄った歌がこの地では有名だからでしょうね。五十三次の宿場の名前を掘ったものが京都三条から日本橋まで建っていました。
一気に五十三次を走り抜ける岡村氏。
<関宿>電柱を廃し、連子格子の家を再現しているため昔の雰囲気が漂う印象的な宿場町です。
今日の宿はこの石垣宿というゲストハウスに決めました。本当は四日市まで行きたかったのですが、この佇まいに惹かれ即決で泊まる事に。
岡村氏と地元の居酒屋を探し出して杯を交わしました。岡村氏はここでお別れ。
ゲストハウスといっても昔の住居そのままなのでこの雰囲気。雨戸も閉めずにこの雰囲気を楽しみながら床につきました。
明日は5時起床です。