京都店:東海道五十三次を自転車で走破!<二日目>
宿の主人と10時ごろまでまで痛飲したため、少し頭痛が残る中でしたが朝6時過ぎにスタート。
関宿からしばらく行くと雨が降ってきました。昨日も曇天でしたから雨は予想されましたが、やはり嫌なもの。それに朝食が摂れる店も商店も無かったため空腹のまま過ぎ、10キロすぎで、ようやくコンビニエンスストアを発見。雨に濡れているので遠慮がちに入店し、そそくさと買い物を済まして出ようとすると女性スタッフの方が「気をつけて旅してくださいね!」の一言。コンビニの外でおにぎりを食べようとしたら、なんとウェットナプキンを5つも入れてくれていました。なんとも暖かく嬉しい気持ちになりました。
<亀山宿>昔の屋号を板看板にして各住居に掲げていました。うちは旅籠だよ、うちは酒屋だよと書いてあるのです。ふと見ると昔のホーロー看板がそのままに掲げてありました。
<亀山宿>一里塚。昔のままの姿で残っています。これと同じものが道向かいに存在していました。いまは一対のものはほとんど残っていません。ここで旅人は休憩したり、人足や籠の料金の目安にしたりしたらしいです。
彼岸花が咲き乱れていました。
何の変哲もない道ですが・・・・旧街道は右に曲がります。もちろん看板も無ければ道も細くなっているので、誰が見ても右に曲がるなんて分かりません。そこを古地図で道を探しながら走るのです。楽しい時もあれば、かなり走って行き過ぎた事に気づき、意気消沈しながら戻ったり・・・これがまた楽しいのです。今回はGARMINのおかげで迷う事無く曲がりました。
<庄野宿>飛んでイスタンブ〜ル♪ 思い出してしまいました。かなりのオッサンですね・・私。この自動車も通れない細い踏切も東海道です。
<石薬師宿>物寂しい雰囲気が良かったです。
こういう看板、とても興味を惹かれます。自分の持っているGARMINのデータと少し違いました。このように本や文献と違ったりしていることもありますが、どれかを信じて走るしかありません。
道に迷いウロウロとしていると、地元住民による看板が・・・ありがたい!
と、行き着いた先は階段・・・・。まったくワクワクさせてくれます。
<四日市宿>この商店街が宿場街の名残です。このように宿場町がアーケード街になっているところは結構あります。自転車を降りて歩行。雨もあがりました。
街道につきものの甘味処で、店番をしてた猫。東海道を徒歩で旅している一行に撫で回されていましたが、な〜んにも反応無し。その後目の前に現れたオレンジのおかしなオッサンにも興味無し(笑)ただひたすら眠そうでした。
趣のある寺院の門前でシナプスを撮影。振動吸収性がとにかく良く、昨日の疲れは全くと言っていいほど残っていません。本当にスゴいバイクです。ホイールはMAVICのコスミックエリート。超ヘビー級ホイールですが、慣性モーメントが働いて、平地なら踏まなくてもどんどん進んで行ってくれる私イチオシのホイールです。
三ツ谷の一里塚跡を超えるともうすぐ桑名宿
<桑名宿>焼き蛤が有名な港町です。まだこれだけしか来てません・・・・。雨が追いかけてきているので急いでおにぎり屋さんに駆け込んで昼食。
<七里の渡し>江戸時代はここから熱田神宮のある宮の渡しまで舟で移動していました。江戸時代は防衛のため幕府は河川に橋を架けさせなかったのと木曽三川の河口はあまりに広く、架橋も舟をつなげた橋も当然作れなかったという事情があります。
現代人の私は現代の技術で作られた鉄橋を走って木曽三川を越えます。宮の渡しまで30キロ程度。ここは街道ツーリングペースではなく、いつものペースでぶっ飛ばします。
トラックがビュンビュン行き交う国道を、下ハンドルを握って一目散に走っていると突然前輪がパンク。ガラス片が刺さっていました。慌てず取り除き走り出すと10分もしないうちに今度は後輪がパンク・・・。こんなこともあるんだと思いパンク修理、ワイヤー状の鉄片が刺さっていました。そして15分ほど行くとまた前輪がパンク・・・・。また鉄片が刺さっていました。ホノルルセンチュリーライドのサポートの時を思い出しました。短時間で何度もパンク修理するとさすがにポンピングした手が痛くなってしまいました。もうパンクするなよと願いながら酷道(!)をやり過ごしました。
<宮の渡し>
<鳴海宿>絞りで有名な有松の街並。
べんがら塗りの連子格子もいいですが、こちらは重厚な仕上がり。
ここも電線がなく、整然と往時の佇まいを再現しています。
<池鯉鮒宿>松並木がとっても美しいです。東海道にはまだこういった松並木が残されています。旅人を熱さや風から守るために江戸時代に作られました。日光街道の杉並木はとても有名です。他にも楓などもあったようです。第二次世界大戦中に、松根油という松から摂れる油をガソリン代わりにしたということで、かなりの松が伐採されてしまいました。
これで「ちりゅう」と読みます。現代では「知立」ですね。
<岡崎宿>街道は城下町に入ると、防衛(追っ手をまくため、逃げ道を塞ぐため)のために直角に曲がり始めます。城下町は多かれ少なかれこの「曲り」がもうけられています。岡崎は特に数が多く27回も曲がります。ちょっと曲がり過ぎ。岡崎市内を行くだけでも30分以上かかりました。今日はここで投宿します。
宿では毎日洗濯を2回します。軽量化のためにレーサージャージ1枚、トレーニングウェア1枚しか持ってきておらず、部屋に入るとまず着替えもせず前日のトレーニングウェアを洗濯。仕上がってから風呂に入って後、ようやくレーサージャージを洗濯。その間に夕食に行くといったことをしていました。