京都店:東海道五十三次を自転車で走破!<三日目>
夕べは台風が来るという事で早めに投宿したのですが、確かに風は強かったものの雨は降っておらず、早朝には走れると判断。6時に宿を出発しました。
<藤川宿>長い国道を走って右に逸れると藤川宿。記念館や本陣前、見附などの碑が作られています。
もちろんまだ半分も来ていません。
一里山。滋賀県にも一里山という地名があり、昔一里塚がありました。各地に同じような地名が見られます。他にも見附、札の辻、伝馬町、問屋町など街道にまつわる地名が各地に残されています。
立場と書いて「たてば」と読みます。宿場町と宿場町の間に幕府によって設置された「合の宿」と呼ばれる休憩所が集まったところです。茶屋や屋台があったそうです。
<二川宿>本陣跡が資料館になっています。滋賀県の草津宿は往時の佇まいを再現しているものですが、こちらは資料館としてさまざまな展示をしています。なかには着物を着て撮影とか浮世絵を作ってみるコーナーとかなかなか楽しめます。
<赤坂宿>野焼きの匂いに誘われて道を外れるとこんな風景が・・・日本を感じる瞬間です。
赤坂宿には、江戸時代の旅籠をそのままに営業を続けている「大橋屋」があります。昔の旅人気分で宿泊するのも楽しいでしょうね。今回は行程が合いませんでした。次回は是非宿泊したいです。
<御油宿>赤坂宿と隣り合わせの宿場町で「ごゆ」と読みます。なぜこんなに近いのかは不明。一緒にすれば良いぐらいの距離なのになぜか別の宿場町。いろいろな理由があったのでしょうね。少なくなってしまいましたが松並木が有名です。でもなんだか現代風の公園になってしまっていてちょっと寂しかったです。
いよいよ駿河の国
<白須賀宿>旧街道を行くと「曲尺手」と呼ばれるクランク状の道にたびたび出くわします。昔、大名行列がすれ違うときに、位の低い大名は籠から降りて位の高い大名が通り過ぎる間、頭を垂れていなくてはならなかったのです。主君にそうさせては家臣の名折れ。いや切腹ものだったのでしょう。大名行列は時に4000人を超える大人数、遠方からもその行列が見えたのでしょう。見えたら最後、殿様は籠から降りなくてはならず、そうさせないために偵察隊を送り、この曲尺手で待って情報収集をしたそうです。大変だったんですね〜。
肩こりにも効いたんですね・・・・。
<新居宿>紀伊国屋という旅籠を再現した建物です。由美かおるが出てきそうです〜。
宿を出ると急に大粒の雨が降ってきました。こりゃ大変です。
新居の関所。昔は怖いものの一つに関所がありました。「入り鉄砲に出女」はお聞きになったことがあるでしょう。幕府は各国から攻められる事を恐れ、鉄砲の出入りに特に厳しく、また参勤交代で各大名の妻女を人質に取っていましたから、彼女達が江戸から隠れて逃げ出さないか必死になっていました。「異国風情で炭で出来た馬に乗っておりやすが、怪しいものではございませぬ・・・」
浜松に入って雨脚は強まるばかり。
芯まで濡れてしまい、やらなくてはならない仕事もあったので16時には投宿。
ゆっくり落ち着いてコンピュータの仕事をしました。仕事から逃れられないのは私の定めです。
宿に泊まる時は毎回輪行袋にバイクを入れて部屋に入れさせてもらっていました。面倒ですが盗難の危険も無く安心です。宿にちゃんと断っておく必要があります。
明日は今日の遅れを取り戻すべく5時には出発します。