STRADABICYCLES -ストラーダバイシクルズ-

スタッフタイム

新たな旅のはじまり・・・・

オーナーの井上です。

明けましておめでとうございます。本年もストラーダバイシクルズに皆さまの変わらぬご愛顧をなにとぞよろしくお願い申し上げます。

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さて、最近はめっきりトライアスロンに没頭している(ように見える?)井上でありますが、実はツーリングが私のスポーツサイクル体験の原点です。今まであちこちを走り回りました。最近は「旧街道」を走ることにロマンを感じ、写真とツーリングを組み合わせると言うテーマ性を持たせたツーリングをライフワークにしています。仕事に一大転機を迎えるたびに、気持ちを一新するため自転車で旧街道を旅しています。

自転車は私の人生を変え、ついには独立開業をし今に至るわけですが、実は私は小学校、中学校の頃は自転車が大嫌いで仕方ありませんでした。心の底から自転車が嫌いだったのです。想像もつかないと思いますが・・・。

ということで私の幼少の頃の昔ばなしをひとつ・・・。自転車嫌いがなぜツーリングを始めることになったのか・・・・長くなりますがお付き合いください。

当時、私の父親は自転車関係の会社に勤めていました、故に私は幼少の頃から自転車組み立てを手伝わされて過ごし、小学校低学年の頃にはいつも父親の残業のお手伝いをしていました。婦人車(ミニサイクル)のホイールを組まされたり、実用車のロッドブレーキを組まされたり・・・。しまいには梱包ごと渡されて組むという状態になっていました。テレビが見たくても宿題をしなくてはいけなくても、まず組み立てをさせられるのが日課でした。だから小学校の頃はすでに自転車が嫌いになってしまっていました。

さて小学校中学年の頃にスーパーカーブームというものがり、フェラーリやポルシェ、ランボルギーニといった自動車が日本に紹介され、それが少年雑誌に掲載されるようになったことから一大ブームが起こりました。自転車メーカーもブームに乗じて商品を開発。スーパーカーのヘッドライトを模して、ライトのレンズ部分が開閉する「スーパーカーライト」なるものを組み込んだ自転車が現れたのです。ジュニアスポーツサイクルというものでした。レバーを引くとヘッドライトがポップアップ!それと同時にライトが点灯するのです!カッコイイ!!!

これまた世の少年たちのハートを鷲掴み、一世を風靡したのです。そう。ジュニアスポーツサイクルは少年たちの憧れの商品になったのです。

私も欲しくて欲しくてたまらない(笑)とにかく世の小学生と同じようにジュニアスポーツに憧れました。

父親の会社が扱うブランドも遅ればせながら商品を開発。当然ながら毎晩毎晩、そのジュニアスポーツサイクルの組み立てを手伝う毎日でした。家に帰ると目の前に憧れのスーパーカーライトを搭載した自転車の梱包が何台も置かれているのです。ブームですからそりゃ何台も。もう最高の気分!この時ばかりは自転車の組み立てが楽しくて仕方ありませんでした。リトラクタブルヘッドライト部分の組み立てはこぞって自分がさせてもらっていたのを思い出します。初めて触る外装式変速機。ワイヤーを通して仮組みするところまで組ませてもらっていました。自動車のATシフトレバーのようなT字の変速レバー。変速するとカチッ!カチッ!とインジケーターが動き、まるで当時テレビで放映されていた松本零士原作の「宇宙戦艦ヤマト」のコックピットみたいで、子供心に興奮したのを覚えています。

放課後は小学校の運動場でスーパーカーライトを付けたジュニアスポーツのさながら品評会。「買ってもらったんや〜」もう自慢ツアーのオンパレード(笑)中にはディスクブレーキを付けたものや方向指示器を載せたものなども出て百花繚乱。父親の会社が扱っているブランドのジュニアスポーツを友達が乗っていると「これ、俺が組んだんやで!」とちょっと自慢したり(笑)。ちょっと調子が悪いヤツがいたら「俺が見てやる!」なんて得意げに直してみたり・・・・。そして夕暮れになるとみんなで運動場を出て、丘の上にあるお寺の坂道を一斉に駆け上っていくのです。カチッ!カチッ!と変速して。

でも私はお寺の坂は登れませんでした。私の自転車には変速機は付いていなかったのです。いや変速機が付いていないどころか自分専用の自転車はありませんでした。小学校高学年になっても私には兄が乗っていた幼児用の22インチの自転車しかなく、さすがに恥ずかしくってバカにされるので乗れなかったのです。仕方ないので母親のミニサイクルのカゴを外して乗っていました。(婦人車が恥ずかしいのでちょっとスポーティーに見えるように)

結局たくさんの友人のジュニアスポーツを組みましたが、最後まで自分のジュニアスポーツは買ってもらうことはありませんでした。

さらに中学生なる前に自転車が大嫌いになる事件が・・・。田舎なので中学校に進学すると指定通学車にヘルメットを揃えるのが習わし。父親の会社も掻き入れ時だから販売店に卸す通学車を組み立てるのにてんてこ舞い。私も当然お手伝いで組み立てです。新品のペイントとオイルとタイヤの匂いのする実用車を一体何台組んだかわかりません。黒い実用車で大きなホイールが付いていて、大人用の自転車みたいで・・・。自分もこれに乗って中学校に進学するんだとワクワクしたものでした。

でも小学校卒業式を過ぎても、中学生の準備をする段になっても一向に自分の自転車はやってきません。ヤキモキするうちに4月になってしまい・・・そして父親に訴えるとようやく「組んでやる」の一言。入学式の3日ほど前でした。父親と一緒に会社に行って、完成車の箱を探しましたがそんなものはありません。なんと父親はその辺に放置してあるジャンクパーツで実用車を組み立てたのです。年代物のホコリを被ったダークグリーンの実用車のフレームに、婦人車然とした丸い意匠のカゴ、グリップは婦人車のホワイトのもの。泥除けは前後で違う種類のもので、下部に赤い色の帯がペイントされています。タイヤも前後で色が違う。後ろだけブルーのラインが入っている。極め付けはチェーンケースで、実用車規格のものが品切れしており適合するものがありません。そこで父親が取り出したのが・・・・・婦人車のチェーンケース。しかもライムグリーン。ギア部分には花柄の模様が・・・・。「やめてくれ!!!!」でも父親は有無を言わさずサンダーで婦人車のチェーンケースの後部を切り落とし、ポンチで目分量で穴を叩き開けてボルトで「ぽん!」と取り付けてしまいました。まさに寄せ集め。カ、カラフルと言えばカラフルだが・・・・。ダークグリーン、ホワイト、レッド、ブルー・・・・LOOKのモンドリアンカラーなら素敵でカッコイイのですが・・・・。さすがに「こんなのじゃ学校にいけない!」と不満を言うと、父親は「新品の部品やからこれでエエやろが!!」。

私が生まれて初めて買ってもらった新車。それがこの通学車でした・・・。

アカン・・・こんなの乗ったらイジメられる・・・。そう感じた私は入学式前日にチェーンケースとカゴを缶スプレーで黒く塗りつぶしてしまいました。そのことが父親の逆鱗に触れ、大叱責!「なんでサラの自転車にそんなことするんや!!」

もうそこから父親が大嫌いになってしまい、自転車も大嫌いになってしまい、入学式の翌日にその自転車を階段下に叩き落としてしまいました。(自転車に罪は無いんですが感情的に投げてしまったのです)ボコボコになってしまいマトモに走れなくなった自転車・・・・。でも意地になってガチャガチャ異音がするまま毎日16キロの距離を3年間通学しました。でももう父親に訴えかけることはありませんでした。そして・・・高校を出るまで父親の仕事を手伝うこともありませんでした。

今を思うとすでに一般自転車の業界は転換期を迎え厳しい時代に入っていたのです。父親も厳しい仕事の中に身を置いていたのでしょう。今は十分理解できます。自転車を買ってもらえるだけでもありがたいと思えます。まあ、そんなちょっぴり苦い思い出もあって、この頃は自転車大嫌いの暗黒時代だったのです。。今となっては懐かしい思い出ですが・・・。

さて自転車嫌いの人間でも興味を持っていたのが「サイクリング」「ツーリング」でした。当時少年漫画雑誌に掲載されていた自転車漫画「サイクル野郎」にハマっていたのです。主人公が中学を出て日本一周の冒険旅行に出かけると言う内容です。サイクルツーリズムの盛り上がりに呼応して生まれた漫画でした。小学生だった私は近所の理髪店に単行本が置いてあったので、散髪に行くたびに読みふけっていました。それほどハマった漫画だったのです。中学生になってもツーリングがしたい気持ちは昂ぶるばかり。地図を開いては未知の世界を想像するばかり。でも父親には一言も言えない(笑)意地になっていたんですね。

だから高校生になったらバイトして自転車を買ってツーリングするんだと誓っていました。漫画の主人公が中学を出てすぐに日本一周に旅立つ物語なのでなんとなく高校生だったのです。単純バカですね。

さて今日はここまで。次回はなぜ旧街道にハマッたかをお話します!!

 

 

 

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